現在の位置

賢島の概要と沿革

賢島

賢島(かしこじま)

面積 : 約0.68km2       周囲 : 約7.3km

人口 : 101人

(男45、女56、世帯数61)(平成27年5月末現在。志摩市住民基本台帳)

 

※「賢島」は島の名称であり、正式な地名の表示は「志摩市阿児町神明字カシコ」となる。

<賢島の由来>

  縄文時代の遺跡から石錘、石鏃、礫器、石斧を確認しており、この時代から人が居住、または生活していたと考えられるが、近代まで神明村に属する無人島であった。

 賢島は神明村とはわずかしか離れておらず、潮が引けば歩いて渡れることから「徒越え(かちごえ)島」と呼ばれ、それが訛って「かしこ」「かしこ山」と呼ばれるようになったとされている。享保3年(1718年)の神明村指出帳(中世後期の農地等の面積・作人・年貢高などを記した書類)には「かしこ山」との記載があったとされ、多少の田地があるほかはほとんど松と灌木林であったと考えられている。

 昭和4年(1929年)に土地開発会社の設立と志摩電気鉄道が開通した際に「賢島」と表記されるようになった。

<鉄道と賢島開発>

 昭和4年に志摩電気鉄道の開通にあわせて賢島港が整備され、昭和21年(1946年)11月20日に伊勢志摩国立公園に指定されてからは英虞湾観光の拠点となり、真珠養殖事業の急速な進展とともに資材基地としての役割も果たしてきた。

   志摩電気鉄道は鳥羽駅から賢島の「真珠港駅」を結ぶ路線で、昭和19年(1944年)には三重交通株式会社に併合された後、昭和40年(1965年)には近畿日本鉄道と合併し、近畿日本鉄道志摩線となっている。

 

 昭和26年(1951年)には、戦後初のリゾートホテルとして志摩観光ホテルが開業してリゾート地としての開発が始まった。

   昭和45年(1970年)には近鉄特急の乗り入れが始まったほか、国道167号線の改修に伴いホテルの増築や周辺地域でのゴルフ場開発、別荘地の開発が行われた。

昭和4年頃の賢島駅周辺

昭和4年頃の賢島駅周辺

昭和45年頃の真珠港駅

昭和45年頃の真珠港駅

<賢島港>

 道路整備が進む以前、周囲を海で囲まれた志摩半島の交通は船が頼りで、特に奥志摩の人々は現在の鵜方浜までは船便で、そこから近郷、伊勢などへは車を利用していたが、鵜方浜は水深が浅く船の発着に不便であったため、昭和4年(1929年)の志摩電気鉄道の開通に合わせて賢島駅の駅前に建設された。

 

 現在も賢島から間崎島、和具、御座、浜島等を結ぶ巡航船や英虞湾内の遊覧船が発着する港となっており、英虞湾の海上交通の拠点となっている。 

 

昭和10年頃の賢島港

昭和10年頃の賢島港

現在の賢島港

現在の賢島港

(三重県:「三重のみなと・うみのあらまし」から引用)

http://www.pref.mie.lg.jp/kowan/hp/mie-kowan/minato/

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